スーパーのカート事件で判明した、私の器のサイズ

心を整える

スーパーで買い物をしていた時のこと。

私はカートを使わず、買い物カゴだけを持ってレジへ向かった。

すると前の人が使ったらしいカートがレジ横に置きっぱなしになっていた。

私が会計をしようとすると、店員さんが少し強い口調で言った。

「カートも持っていってくださいね!!」

一瞬、頭の中が停止した。

え?

私、カート使ってないけど?


正直に言うと、その瞬間の心の声はこうだった。

「いや、それ前の人のやつやん!」

でも実際に口から出た言葉は、

「私、カゴしか使ってませんよ」

だった。


店員さんは「あれ!?違うんですか」という顔をした。

でも謝らなかった。

その瞬間、私の心の中に新たな住人が現れる。

「いや、謝れや。」

である。


とはいえ、私はそのカートを返した。

どうせ帰り道だし、返すこと自体は別に嫌じゃない。

問題はカートではない。

私が本当に引っかかったのは、

勘違いされたこと。

そして謝られなかったこと。

だった。


帰りながら考えた。

成熟した人なら、

「はーい」

だけ言って何も気にしないのだろうか。

私はまだまだだなぁ。

心が狭いなぁ。

そんなことを思った。


でも少し冷静になってみる。

私は本当に未熟だったのだろうか。

心の中では

「前の人のやつやん!」

と思いながら、

実際には事実だけを伝えた。

怒鳴ったわけでもない。

嫌味を言ったわけでもない。

相手を責め続けたわけでもない。

ただ、

「私じゃないですよ」

と伝えただけだ。


そこで気付いた。

私が目指していた成熟は、

何を言われても笑顔で受け流せる人だった。

でも本当の成熟って、

感情がなくなることじゃないのかもしれない。

ムッとする。

悲しくなる。

納得いかない。

そう感じること自体は自然なこと。

ただ、その感情に振り回されない。

それだけなのかもしれない。


最近、人と話す機会が減った。

だから今回の出来事が妙に新鮮だった。

人と関わると、自分が見える。

自分が何を大事にしているのか。

どこで傷つくのか。

どこが成長したのか。

どんな癖が残っているのか。

人は鏡だ。

レジ横に放置されたカートよりも、

私は自分自身を発見してしまった。


というわけで今回の研究結果。

私の器は、まだ仏のようには広くない。

しかし、

以前よりは確実に大きくなっている。

たぶん。

きっと。

そう思いたい。

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