研究テーマ
愛情表現の違いを理解すると、人間関係はどう変わるのか。
背景
私は長い間、母に少し物足りなさを感じていました。
もっと深く話したい。
もっと考えを共有したい。
もっと私という人間を理解してほしい。
でも母はいつも、
「考えすぎやって。」
「みんなで楽しくできたらそれでいいやん。」
と言います。
昔の私は、その言葉に満たされませんでした。
どうしてもっと本質を考えてくれないんだろう。
どうして私の気持ちを理解しようとしてくれないんだろう。
そんな思いが心のどこかにありました。
考察
最近、人それぞれ愛情表現が違うことを考える機会が増えました。
そこでふと母を思い返した時、一つのことに気づきました。
母は私を愛していなかったわけではありません。
愛し方が違っただけだったのです。
私は、
・相手を理解すること
・深く話すこと
・気持ちを共有すること
そこに愛情を感じます。
一方、母は、
・楽しい時間をつくること
・場を明るくすること
・みんなが笑っていること
そこに愛情を注いでいました。
私は長い間、
「理解されること」
だけが愛だと思っていました。
でも今は少し違います。
愛情表現は、その人が世界で何を大切にしているかの表れなのではないか。
理解することを大切にする人は、理解することで愛を伝える。
楽しい時間を大切にする人は、一緒に笑うことで愛を伝える。
支えることを大切にする人は、行動で愛を伝える。
見守ることを大切にする人は、信じて待つことで愛を伝える。
母を変えようとしなくなった頃から、不思議と母の愛情が見えるようになりました。
そして、自分の愛し方も否定しなくなりました。
違う愛し方でも、人は十分愛し合える。
母との関係を通して、そのことを教えてもらいました。
仮説
人は、自分が大切にしている愛情表現を相手にも期待しやすい。
しかし、愛情表現の違いを理解できるようになると、
「愛されていない」
という誤解は減り、
相手の行動の中に、これまで見えなかった愛情を見つけられるようになるのではないだろうか。
今回わかったこと
私は「理解すること」が愛情表現だと思っていた。
しかし、母との関係を通して、
愛にはさまざまな形があり、その形はその人が何を大切にしているかによって表れることを知った。
違いを受け入れたことで、母も自分も、以前より自然に愛せるようになった。
次回研究
人はなぜ、自分と同じ愛情表現を相手に求めてしまうのだろうか。
認知機能や価値観は、愛情表現とどのような関係があるのだろうか。

