私は長い間、母に対して少し不満を持っていました。
もっと深く話したい。
もっと理解してほしい。
もっと私の考えていることを知ってほしい。
そんな気持ちがありました。
母はいつも、
「考えすぎやって」
「みんなで楽しくできたらそれでいいやん」
と言います。
昔の私は、それが物足りませんでした。
どうしてもっと本質を考えてくれないんだろう。
どうして私の気持ちを理解してくれないんだろう。
そう思っていました。
でも最近、見方が変わりました。
母は母なりに人を愛している。
ただ、愛し方が私と違うだけだったのです。
私は相手を理解したい。
深く話したい。
気持ちを共有したい。
それが私の愛情表現です。
一方で母は、
楽しい時間を作ること。
場を明るくすること。
みんなが仲良く過ごせること。
そこに愛情を注いでいます。
どちらが正しいとか間違いではありません。
ただ違うだけでした。
私はずっと、
「理解されること」
が愛だと思っていました。
でも違いました。
愛にはいろんな形がある。
理解しようとする愛もあれば、
楽しませようとする愛もある。
支えようとする愛もあれば、
信じて見守る愛もある。
母を変えようとしなくなった頃から、不思議と母の愛が見えるようになりました。
そして同時に、自分の愛し方も否定しなくなりました。
相手を理解したいと思うことも愛。
一緒に笑いたいと思うことも愛。
人はみんな違う。
だから愛の形も違う。
そんな当たり前のことを、私は大人になってからようやく知りました。
母は今でもきっと私のことを
「考えすぎ」
と思っているでしょう。
そして私は今でも母のことを
「単純やなぁ」
と思っています。
でも、それでいい。
違うままでも愛し合える。
それが今の私が見つけた答えです。
