研究テーマ
雑談が苦手な私でも、自分らしい関わり方は見つけられるのか。
背景
以前の記事で、私は「深い話ができる友達はいるけれど、もっとフランクに笑い合える関係も作りたい」と書いた。
そんな中で始めたダンススクール。
初めて継続レッスンに参加した日、レッスン前にこんな雑談が始まった。
「街中の川でアライグマが手を洗ってたんよ。」
すると先生が話に入ってきて、
「うちの家の裏にもいるよ。」
「この近くの雑居ビルにも住んでるらしい。」
「え、あんな家賃高そうなところタダで住めるやん!」
と盛り上がり、気づけばみんなで笑っていた。
一人が話題を置き、
みんなが少しずつ話を広げていた。
その時間が、とても心地よかった。
考察
私は昔から「なんで?」を考えることが好きだ。
人の行動。
心の仕組み。
AI。
深い話ができる人には昔から心を惹かれてきた。
でも、本当はくだらない話で笑うことも好きだった。
学生の頃は、何も生み出さないような雑談で笑っていた記憶がある。
それなのに、ここ数年は不妊治療のこともあって、気づけば人生を真面目に考える時間ばかり増えていた。
だから今回のダンススクールで感じたのは、「新しい楽しさ」というより、
忘れていた楽しさを思い出した感覚だった。
そしてもう一つ気づいたことがある。
私はずっと、
雑談が得意な人は「話を広げるのが上手な人」だと思っていた。
でも、あの日の会話を思い返すと違った。
最初の一言がなければ、あの笑いは始まっていない。
話を広げる人も素敵だけれど、
最初の小さな石を投げる人も、とても大切な役割だった。
仮説
私は未来のことや「なぜ?」ばかり考えている。
そのせいか、目の前の日常をあまり見ていない。
だから今まで、
雑談になりそうな小さな出来事も見逃してきたのかもしれない。
でも私は、準備することは得意だ。
その場で面白い返しはできなくても、
「あ、これ今度話そう。」
という小さな石を日常で拾っておくことならできる。
そして、その石を一つだけ投げる。
話を広げるのは、その場が得意な人に任せる。
それが私らしい雑談の仕方なのかもしれない。
今回分かったこと
私は雑談が苦手なのではなく、
雑談が得意な人と同じ役割を目指していただけなのかもしれない。
エンターテイナーになる必要はない。
私には私の役割がある。
それは、
会話のきっかけになる小さな石を投げることかもしれない。
そのために、これからは少しだけ目の前の日常を観察してみようと思う。
未来を見ることも好き。
深く考えることも好き。
でも、少しだけ足元にも目を向けてみたい。
そうしたら、今まで見えていなかった世界や、人とのつながりが少しずつ増えていくのかもしれない。
次回の研究
実際に「石」を拾いながら生活してみようと思う。
どんな話題なら自然に会話が始まるのか。
そして、目の前を見る習慣は本当にフランクな関係を育ててくれるのか。
しばらく実験を続けてみます🧪
🔬関連研究
今回の研究は、こちらの研究から始まりました。
