スーパーのカート事件で見えた、本当の「成熟」とは何か。

🪞自分研究室

研究テーマ

成熟した人とは、どのような人なのだろうか。


背景

スーパーで買い物をしていた時のこと。

私は買い物カゴだけを持ってレジへ向かいました。

すると、前の人が使ったらしいカートがレジ横に置きっぱなしになっていました。

会計を始めようとした瞬間、店員さんが少し強い口調で言いました。

「カートも持っていってくださいね!」

一瞬、頭の中が止まりました。

「え?私、カート使ってないけど?」

心の中では、

「いや、それ前の人のやつやん!」

と思いました。

でも実際に伝えたのは、

「私、カゴしか使ってませんよ」

という事実だけでした。

店員さんは勘違いに気付きましたが、謝ることはありませんでした。

その瞬間、

「いや、謝れや。」

という新しい感情が心の中に現れました。

結局、帰り道だったのでカートは私が返しました。

カートを返すこと自体は何とも思いませんでした。

ただ、

勘違いされたこと。

そして謝られなかったこと。

そこに少し引っかかりを感じました。


考察

帰り道、自分に問いかけました。

「成熟した人なら、何も気にしないのだろうか。」

以前の私は、

何を言われても笑って受け流せる人こそ成熟していると思っていました。

だから、

「まだまだ器が小さいな。」

と感じました。

でも、少し考え直しました。

私は心の中では納得できなくても、

怒鳴ったわけではありません。

嫌味を言ったわけでもありません。

相手を責め続けたわけでもありません。

事実だけを伝え、

その後も冷静に行動しました。

そこで一つ気づきました。

成熟とは、

感情がなくなることではない。

ムッとする。

悲しくなる。

納得できない。

そう感じること自体は、ごく自然な反応です。

本当に大切なのは、

その感情に支配されず、自分で行動を選べることなのではないでしょうか。

今回の出来事は、小さなスーパーでの出来事でした。

でも、人と関わることで、自分自身の価値観や反応の癖がよく見えました。

人は鏡。

レジ横に置かれたカートよりも、自分自身の心の方がよく見えた出来事でした。


仮説

成熟とは、ネガティブな感情がなくなることではない。

感情を認識した上で、その感情に振り回されず、自分で行動を選択できる状態なのではないだろうか。


今回わかったこと

私は「成熟した人は何も感じない人」だと思っていた。

しかし実際には、

成熟とは感情を消すことではなく、

感情と行動を切り離して選択できることなのかもしれない。

人との関わりは、自分自身を知るための鏡になる。


次回研究

感情に振り回される時と、振り回されない時の違いは何だろうか。

人はどのようにして感情と行動を切り離せるようになるのだろうか。

タイトルとURLをコピーしました