認知機能日記を13件つけたら、「感情がない」のではなく採用していなかったと気づいた

🪞自分研究室

研究テーマ

日常の小さな判断を記録すると、自分がどのように物事を考え、何を基準に決断しているのか見えてくるのか。

背景

私は長いあいだ、自分をINFJだと思っていた。

しかし、日常で実際に使っている判断基準を振り返ると、どうもFeよりTeのほうが自然に働いている気がする。

私は本当にINFJなのか。それともINTJなのか。

これを調べるために、日常で迷ったことや感情が動いた出来事を「認知機能日記」として記録してみることにした。

今回振り返ったのは13件。

  • 自分へのご褒美に何を食べるか
  • 誕生日をどう過ごすか
  • 夫が約束どおり動かなかったとき、何を感じたか
  • 欲しいバッグを買うか
  • 友人からの誘いを受けるか
  • 誤解されたとき、どう訂正するか

そんな日常の小さな出来事である。

記録したのは、最終的な結論だけではない。

「最初の3秒で何を思ったか」
「そのあと何を考えたか」
「最終的に何を基準に決めたか」
「その判断は自然だったか」
「どれくらい疲れたか」

ここまで残してみた。

すると13件という少ない記録からでも、私が何度も使っている判断ルートが見えてきた。

考察

私は、最初からちゃんと感情を持っていた

最初に気づいたのは、私は決して感情が薄いわけではないということだった。

最初の3秒には、かなり素直な気持ちが出ている。

「おいしいものが食べたい」

「このバッグが欲しい」

「一緒に行きたくない」

「誤解されたままなんて耐えられない」

「元気そうで嬉しい」

思っていたより、ちゃんと好き嫌いもあるし、怒ってもいる。

ところが私は、この最初の気持ちだけでは決めない。

その直後に、脳内会議が始まる。

「でも、今回の目的は何だ?」

「実害はあるのか?」

「相手はどう感じるだろう?」

「無料のほうが経済的では?」

こうして最初の本音は、目的・効率・実害・相手への影響による審査を受ける。

どうやら私の感情は、発言していなかったのではない。

ずっと発言していたけれど、採決で負けていたらしい。

判断を支配していたのは「本来の目的」

13件を通して、私が最も安定して使っていた判断基準は、目的だった。

私は予定や計画を何がなんでも守りたいわけではない。

むしろ途中の計画に問題が起きたら、

「そもそも、何のためにやっていたんだっけ?」

と本来の目的へ戻る。

手段が予定どおり進まなかったことには腹が立っても、そのまま怒り続けるのではなく、

「今回、本当に達成したかったことは何だろう」

と捉え直し、目的を達成するためにできることを考えていた。

私が重視しているのは、計画どおりに進んだかではない。

最終的に、必要な結果へたどり着けるかどうかだった。

これは、これまで考えていたよりもかなりTe的な動きに見える。

私のTeは、成果のために人を強く動かすようなものではない。

理解したことを基準や仕組みに変え、次から少ない労力で扱えるようにする。

そんな「生活省エネ型Te」なのかもしれない。

私が知りたいのは、出来事そのものより「その意味」

もう一つ繰り返し現れていたのが、

「本当は何が起きているのか」

を探す動きだった。

具体的な予定や細かな事実だけでは興味が続きにくい。

しかし、

  • その人はなぜそう考えたのか
  • 以前と比べて何が変わったのか
  • その判断の奥にどんな価値観があるのか

という話になると、一気に興味が湧く。

私は事実そのものより、事実が何を意味しているのかを知りたいらしい。

日常の小さな出来事を、そのまま小さな出来事として終わらせられない。

「これは何の構造だ?」

と、すぐ地下研究室へ運んでしまう。

認知機能日記を13件並べたことで、このNiらしい傾向がかなりはっきり見えた。

最近、Fiが進化したように感じる理由

ここ最近、私は自分の気持ちを以前より優先できるようになった。

価格だけで選択肢を閉じず、本当に価値を感じたバッグを買った。

友人に誘われても、一人で行きたいイベントは断った。

相手との関係を大切にしながら、自分の時間や疲労も判断材料に入れ始めた。

そのため私は、

「最近、Fiが進化しているのでは?」

と考えていた。

日記を読み返してみると、少し違う見え方になった。

Fiは最近になって誕生したわけではない。

初期の日記にも、

「行きたくない」

「欲しい」

「本当は相手にやってほしい」

という本音は、ちゃんと存在していた。

ただ、以前はその本音より、

  • 無料であること
  • 効率がよいこと
  • 相手を困らせないこと
  • 予定や目的を成立させること

を優先していた。

Fiが弱くて何も感じていなかったのではない。

本音はずっと会議に参加していたけれど、最終決定権を持っていなかったのだ。

最近の変化は、Fiの声が大きくなったというより、

「それも正式な判断基準として扱おう」

と思えるようになったことなのかもしれない。

人への配慮はできる。でも、本音と衝突すると疲れる

私はFeを使っていないわけでもなかった。

夫を一人にするとかわいそうだと思う。

家族がどう受け取るかを考える。

友人を傷つけない断り方を何日も考える。

相手を焦らせないように、言葉を待つこともある。

ただし、自分の本音と相手への配慮が衝突すると、非常に疲れる。

「行きたくない」と思っているのに、相手のために参加する。

「本当は嫌だった」と感じながら、場を成立させる。

そうした判断は実行できるけれど、自然さが低く、あとに大きな疲労が残っていた。

一方、誰かが困っているとき、私はかなり自然に動ける。

ただし、その動きは、

「同じ気持ちになって寄り添う」

だけではなく、

「何が原因なのか」
「どうすれば実際に負担を減らせるのか」

を考え、問題を扱える形にしようとする。

もしかすると、私にとって問題解決は冷たさではなく、一つの愛情表現なのかもしれない。

疲れると、人に厳しくなる理由も見えてきた

疲労していないときの私は、一度イラッとしても、

「相手にも事情があるのかもしれない」

「本来の目的は何だろう」

と再評価できる。

しかし疲れていると、この工程が短くなる。

言葉が鋭くなり、相手の不作為や責任の曖昧さに強く反応する。

相手が自分から動くのを待ったり、事情を改めて考えたりする余裕も少なくなる。

特に腹が立つのは、単に予定が変わったときではない。

  • 報告すれば防げた時間のロス
  • 言ったのに実行しない
  • 誤解を訂正しない
  • 相手の不作為でこちらの負担が増える

といった「防げたはずの問題」が起きたときだった。

疲れたからTeが突然強くなるというより、普段ならTeの前後に存在する「事情を考える工程」が短縮される。

その結果、結論だけが鋭く飛び出してくるのかもしれない。

仮説

13件の認知機能日記から見ると、現時点で最も自分の判断を説明しやすいのは、

Ni–Te–Fi–SeのINTJ型

である。

私の中では、次のような流れが繰り返されている。

  1. 日常で小さな出来事が起こる
  2. 感情や違和感が瞬時に生まれる
  3. 本当の原因・意味・目的を探す
  4. 現実的な解決策や仕組みに変える
  5. 実際に試して結果を見る
  6. そこから新しい仮説を作る

もちろん、MBTIだけで人間のすべてを説明できるわけではない。

ただ、これ以上同じ形式の日記を続けても、現時点のINTJ仮説は大きく変わらなさそうである。

そこで、認知機能日記の第一章は、ここでいったん終えることにした。

今回わかったこと

認知機能日記を13件つけてわかったのは、私は感情が弱いわけではないということだった。

本音や違和感は、最初からかなり素早く出ている。

しかし、そのまま行動するのではなく、

  • 本来の目的
  • 現実的な成果
  • 実害
  • 効率
  • 相手への影響

を検討してから最終判断を出している。

これまでは、その会議で自分の気持ちが負けることが多かった。

最近はようやく、

「私はどうしたいのか」

も正式な判断基準として扱えるようになってきた。

今回の法則を一文にすると、

  私は、感情や違和感を瞬時に感じながら、そのままでは決めず、本質的な目的と現実的な成果を基準に再判断する。最近は、その判断に自分の価値観も正式メンバーとして参加し始めている。

Fiは今まで不在だったのではない。

ずっと会議室にはいた。

ただ、採決で負け続けていただけだったのだ。

最近ようやく、一票の重みが増してきたらしい。

次回研究

第二章「私は何を基準に判断しているのか?」

INTJかどうかを調べるために始めた認知機能日記だった。

しかし、記録を続けるうちに、タイプ名そのものより気になる問いが出てきた。

  私は、何を基準に判断しているのだろう?

第一章では、自分がどのように判断しているのかを、認知機能から観察した。

第二章では、その判断の中身である「判断基準」と、その奥にある「価値観」を研究したい。

例えば、私の中ではすでに、

  • 効率と自分の気持ち
  • 相手への配慮と自分の時間
  • 安さと本当に価値を感じるもの
  • 誠実さと相手を傷つけないこと
  • 目の前の計画と本来の目的

が何度も衝突している。

こうした場面で、私は何を優先すれば納得できるのか。

どのような基準があれば、迷いを減らせるのか。

自分の価値観に合った決断を、もう少し少ない労力でできるようになるのか。

第二章では、認知機能を判定すること自体を目的にはしない。

必要に応じて参考にしながら、

  私は何を大切にし、どのような基準で選ぶと納得できるのか

を明らかにしたい。

目指すのは、何にでも通用する完璧な正解ではない。

迷ったときに自分が戻ってこられる、意思決定の仕組みを作ることである。

認知機能を調べていたら、その先に「自分らしく決める方法」の研究が生まれた。

地下研究室は、第二章へ続く。

タイトルとURLをコピーしました